「生まれることも奇跡、成長して大人になっていくまでも奇跡の連続」――。俳優の別所哲也さんの長女は、予定日よりも約2カ月以上早い妊娠28週1169gで生まれた「小さく生まれた赤ちゃん」です。妻が緊急帝王切開になった出産当時のことや長女への思いを聞きました。(聞き手:朝日新聞withnews編集部・河原夏季)
別所哲也(べっしょ・てつや)さん:1965年、静岡県生まれ。1児の父。慶應義塾大学に入学後、英語劇を始める。1990年、日米合作映画「クライシス2050」でハリウッドデビュー。米国俳優協会(SAG)会員。「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」などの舞台にも出演。2006年10月からJ-WAVEで朝のラジオ番組を担当し、2009年4月から「J-WAVE TOKYO MORNING RADIO」のナビゲーター。
<俳優・別所哲也さん(60)の長女(16)は、2009年7月、妊娠28週1169gで生まれました。日本では赤ちゃんの多くが37〜41週(正期産)で生まれています。22~36週の早産は約20人に1人。また、体重が2500g未満で生まれる低出生体重児は約10人に1人の割合です>
長女が生まれた当時、僕は舞台の稽古中でした。留守電に妻から「おなかが痛いからこれから病院に行くね」というメッセージが残っていたんです。
それまでも何回か体調が優れないことがあったので、また同じような症状かと思っていました。ですが、かかりつけの産婦人科と、僕以外に緊急連絡先にしていた妻の親友からも「もう生まれてしまうかもしれない」と伝言があり、ただ事ではないとわかりました。
かかりつけの病院にはNICU(新生児集中治療室)がなかったので、受け入れてくれる病院を探して救急車で搬送するという状況でした。
公演が終わってすぐにマネージャーと車に乗り、主治医の先生と連絡を取りながらとにかく受け入れてくれる病院を探しました。どこもNICUの病床が埋まっていてなかなか見つからない。「病院に直談判に行きます」と話していたほど切迫した状況でした。
そうしているうちに、幸いにも受け入れてくれる病院が見つかり、ほっとしました。
夜、病院に駆けつけたとき、一瞬ですが手術室に運ばれていく妻に会うことができた。「ごめんね」と繰り返す妻に、「大丈夫、大丈夫」と伝えました。
<別所さんの妻は、胎盤が子宮の壁から突然はがれ落ちてしまう病気(常位胎盤早期剥離)で、母子ともに危険な状態だったといいます。別所さんは手術の同意書にサインする際、手が震えていたといいます>
妻は日系アメリカ人で、義両親はアメリカに住んでいます。僕の両親は静岡にいるので、そばにいられる家族は僕だけでした。
医師の説明を聞き、手術の同意書にサインをしました。「母体か子どもに何らかの危険があった場合、どのような選択をしますか」、つまり「妻を優先するのか、子どもを優先するのか」という重い選択を迫られ、妻の体と答えました。
緊急帝王切開は1時間もかからなかったと思います。その間にアメリカにいる義両親にも国際電話をして状況を伝えました。
しばらくして、生まれてすぐ保育器に入った娘がNICUに運ばれていくのを目にしました。
娘は確かに小さかったんですけど、目はしっかり開いていた。「おぎゃあ、おぎゃあ」と泣いている様子ではなく、静かにぱっちり目を開けてこちらを向いているようで、不思議な感じがしました。
「生まれたんだ。とにかく生まれてきてくれてよかった」と思いましたね。
妻はそのまま処置を受けていて、そこからが長かった。2時間くらい経ちました。
子どもが生まれたことはうれしかったのですが、妻の命がどうなるのかわからない状況では僕も気が気ではありませんでした。
<妻は状態が安定したところでICU(集中治療室)に入院。別所さんはその日のうちにNICUにいる娘に会いに行きました。早い週数で生まれた赤ちゃんは発達が未熟なため、医師からは厳しい現実も説明されました。しかし、妻にすぐには伝えなかったといいます>
娘の体には点滴などの管がつながっていました。
医師から「赤ちゃんの命が続くかどうか、この3日間、1週間が山です。そのあとは1カ月。28週という早い週数で生まれた場合、肺や目などに障害が残るおそれもあります。様々な状況の変化が起きることがありますがご理解ください」と言われました。
翌日、妻に会いに行きましたが、細かいことは本人に伝えませんでした。伝えたら不安になってしまいますから、「名前はどうしようか」「NICUで頑張っているから大丈夫だよ」と明るい話をしました。
妻とは数日後にNICUに面会に行き、改めて医師から説明を聞きました。
そのときは娘の状態は安定していましたが、生後数週間が経ったとき、一度心肺停止になったところを蘇生してもらったこともありました。
どのような状態であれ自分の娘なので大切な命として考えていました。幸いにもその後は何事もなく成長しました。
妻が退院した後は、搾乳した母乳を持って一緒に面会に通いました。妊娠・出産・育児は夫婦の共同作業で、2人で支え合ってやることだと実感しましたね。
娘は約3カ月入院して自宅に戻りました。医師からは1歳がひとつの節目と言われていたので、誕生日を迎えられたときにはすごくほっとしたのを覚えています。家族やお世話になった方々とパーティーを開いてお祝いしました。
<俳優として様々な役を経験し、ドラマでは外科医を演じたこともある別所さん。しかし、長女の誕生で経験したことはまったく別の世界だったと振り返ります>
NICUでは娘のほかにも何人もの赤ちゃんが入院していて、NICUを出た後も医療的ケアが必要な子もいました。幼い頃は同じ時期に入院していた子どもたちとのつながりもありましたね。
同じような経験をしたご家族は、不安や喜びを分かち合い、支え合っている部分があると思います。様々な環境で生きる子どもたちやご家族、支援団体に対する目線が随分変わりました。
フィクションの中では何度か医者を演じ、実際に帝王切開の医療指導を受けたこともあります。
そういった世界は俳優としては理解していましたが、実際に自分に起きたときはまったく違う感覚や感情で、不安も大きかったですね。
ただ、先生方は「数百グラムで生まれた子も元気に育っていますよ」とすごく励ましてくれました。
医療従事者のみなさんが明るく前向きに命と向き合い、家族の不安に寄り添ってくれたおかげで僕らも前を向いて日々を重ねられました。本当に感謝しかありません。
娘は16歳になりました。まっすぐな性格で、思ったことはやり遂げる。しっかりと芯が通っているところは妻そっくりですね(笑)。
生まれたときの話は、誕生日などの節目に伝えてきました。祖父母である僕の両親が「あなたが生まれたときは大変だったんだよ」と話したときに僕が補足する感じでしたが、本人はあまり実感を持っていませんでしたね(笑)。
一切覚えていないし、「へー、そうなんだ」としか受け止めないので。
ですが、昨年僕が還暦を迎えたときに自分のこれまでを振り返る映像を流したら、長女が「私の赤ちゃんの時のビデオもあるんでしょ? 見てみたい」と急に言い出したんです。
小さいときはまったく興味を示さず写真も見ていなかったのに、16歳になって自分のことをもっと知りたくなったのかな。
うれしかったですよ。どういう状況で生まれた子であっても「自分を知る」ことは大事だし、何でもない日常がすばらしいことなんだとわかる原点だと思います。
命って、生まれることも奇跡であれば、成長して大人になっていくまでも本当に奇跡の連続です。
いつまでたっても子どものことは心配ですけど、見守っていきたいと思います。